こんばんは!
しろです
ぼくは東京のカフェで占いをしたり
電話で相談や悩みを聞いたりして
日々仕事をさせてもらってます。
今でこそ毎日が自由で
充実するようになりましたが
子どもの時からぼくは
「生きるのってツラいな」
と思っていました。
自信もなくて
自己肯定感もない。
「自分はなんで生きているんだろう」
生きる目的もなく
生きている理由もわからず
自分を責め続けて
生きてきました。
なぜぼくが人生に対して
下向きになってしまったのか。
その背景には
何があったのか。
今回はその全てを
話していきます。
正直言って
かなり長いです。
読んでいると
暗い気持ちになる可能性が
大きいです。
でももし今生きていてツラいとか
占いを仕事にしたいと思っているとか
そういう人は
ぜひ読んでみてください。
生きることを
諦めそうになったぼくが
占いを仕事にすることを決意し
自分の好きだった占いを仕事にして
自分の意思で自由に生きていく
そんな人生に好転させられた
きっかけや過程などを
全て話していきます!
全てをさらけ出すので
内容が暗く
引いてしまう人も
いるかもしれません。
暗い気持ちになるのが
嫌な人は
ここでページを
閉じてもらっても構いません。
でももし
当時のぼくと同じように
今を生きていてツラい人が
救われるきっかけになれば
ぼくは嬉しいです。
「本当は占いを仕事にしたい」
「もっと自由に自分らしく生きたい」
そう思っている人に
占いを仕事にして
人生を変えてほしい。
ぼくがYouTubeでも
話している内容重なる部分もあるので
気になる人は
ぼくの自己紹介の動画も
見てみてください!
それでは
占い師しろの黒い過去を
すべて話していきます。
1997年10月12日午前3時43分
山形県でぼくは生まれました。
父と母がいて
二人兄弟の弟として
ぼくは育ちました。
両親共に仕事をしていて
金銭面で大きく苦労することは
特になかったんですが
ぼくの家は
しつけやルールが
他の家より厳しかったんです。
「バラエティ番組やドラマは
見てはいけない」
「テレビゲームは禁止」
など他の人の家では
あまり聞かない決まりが多く
とても縛られた環境でした。
そしてぼくが何か
自分の意思を伝えたり
親の気に入らないことをしたりすると
こっぴどく叱られ
怒られてきました。
「そんなのウチは許さない」
「普通そんなことしない」
「ダメだそんなの」
自分の意思を主張すると
否定されて怒られる。
でもそれが当たり前だと
思っていました。
「ああ、自分の気持ちなんて
無い方がいいんだ」
ぼくはそう思って
自分の意思や気持ちが
無くなっていきました。
大人しくいれば
誰の迷惑にもならない。
怒られることもない。
無口で
落ち着いていて
とても引っ込み思案。
ぼくはそんな子どもでした。
だから小学校でも
周りとは
なかなか馴染めず。
「昨日のあの番組
めっちゃ面白かったよね!」
「あのゲームもう買った?」
そんな会話が
ぼくの周りでは
飛び交ってました。
でもぼくは正直
何を話しているのか
全くわからなかった。
だから友達を作ることも
なかなか出来ませんでした。
人と関わっても
自分のことを理解してくれる人は
そういない。
だから人との関わりは
極力避けていたんです。
人と関わっても
自分が傷つくだけ。
そう思っていました。
そして中学校へ
中学校になっても
周りとはそう馴染めず。
新しく始まったのが
部活動だったんですが
強制的に入らなければいけない
ルールになっていました。
「なんでいつも
強制されないと
いけないんだろう?」
そんな疑問を持ちつつ
ぼくはテニス部に
入りました。
ぼくはスポーツも
得意ではなかったので
今までやったことのない
テニスだったら
ちょっとは好きになれるかも
という浅い考えで
テニス部に入ることを
決めました。
そこでぼくはまた
ツラい経験を
することになります。
顧問の先生が
何かあるたびに
怒る人だったんです。
ミスした時
気に食わなかった時
部活の雰囲気が悪かった時
何度も怒鳴られました。
ぼくは当時
部長をやっていたこともあり
よく怒られていました。
この経験もあって
人の目を気にする
という癖が付いてしまいました。
自分がやっていることは
大丈夫なんだろうか?
誰かの気に触ることを
していないだろうか?
そんなことを考えて
ビクビクとおびえながら
過ごしていました。
それもあって
部活を引退して
一安心したことを
覚えています。
「もう怒られることも
ビクビクして過ごすことも
無いんだな」
次は高校に行って
きっと楽しい
青春とも言える3年間が
始まるんだ!
ぼくはそう信じていました。
人生イチ苦しかった高校時代
ぼくは高校に進学して
またテニス部に入りました。
他に得意なこともないし
また一から
新しいスポーツをやるには
ハードルが高い。
顧問の先生も変わるし
環境も変わって
「きっと今度は
楽しく部活もできて
高校生活も充実するんだろうな」
そう信じて疑いませんでした。
ですがその期待を裏切り
ツラい高校生活が
始まったんです。
部活の顧問の先生は
とてもいい人だったんですが
今度はテニスのペアの人が
とても怖い人でした。
ぼくがミスするたびにキレられて
罵倒されるようになりました。
「おいバカ!」
「何やってんだよ」
部活があるたびに
今日も言われるのでは無いかと
恐怖を感じて過ごす。
大会や練習試合があると
前日の夜からとても憂鬱でした。
「明日が来なければいいのに」
「ずっと寝ていたい」
そう思っても
必ず次の日はやって来る。
周りの部活のメンバーも
ぼくが責められているその様子に
気が付いてはいましたが
どうすることも
できませんでした。
ぼくがしっかりとミスなく
自分の役目をこなせれば
一番良かったんですが
そんなにうまくいくこともなく…。
ある日顧問の先生に
「大変そうだけど
大丈夫か?」
そう聞かれて
(もしかして助けてもらえるのかな?)
そう思ってぼくは
「正直、ツラいです」
と伝えました。
「そうか、わかった」
顧問の先生から
言われたのは
その一言だけでした。
(え、それだけ…?)
ぼくが勝手に
期待していただけですが
何か変わることはなかった。
顧問の先生が
なんとかしてくれる
なんてことは無かったんです。
でもどうしても苦しくて
なんとか抜け出したくて
担任の先生にも
伝えてみようと思い
勇気を出して伝えてみました。
部活のペアに
怒鳴られていること
それが精神的にツラくて
苦しいこと
自分が思っていることを
そのまま伝えました。
そしたら
その担任の先生に
言われました。
「そうか…
それは、
なんとかしてくれ」
そう言われた瞬間
ぼくは言葉を失いました。
(なんとかしてくれ…?)
自分じゃどうしようもできなくて
だから勇気を出して相談したのに…
ぼくは思いました。
周りがどうにかしてくれる
そんなことは無い。
自分の力で
どうにかしないといけない。
社会を信用しても
自分が救われることなんてない。
イジメにあってるわけでもないし
そんなに問題視されるわけもない。
ぼくは心を閉ざしました。
部活を辞めたら
周りに迷惑がかかるし
転校なんて
ただのワガママと
親から思われる
と思ったし
高校を中退するのは
考えられなかったし
ただ耐えていくしかないと
思いました。
でも現状は何も変わらない。
とても残酷なもので
ぼくはそれからも
部活でツラい思いを
し続けました。
そしてある日
ぼくはまたミスをして
ペアに言われます。
「もう、
お前がいても
意味無い」
その瞬間
ぼくの中の何かが
壊れたような感じがしました。
感情というものは
もう何も感じられない状態でした。
自分がいても意味がない。
誰のためにもなれない。
いる意味がないなら
誰のためにもなれないなら
もう死んでいいんじゃないか?
そう無意識に
ぼくは思っていました。
気が付いたら
部屋で一人になって
「楽に死ぬ方法」
と検索している自分がいました。
どうせ死ぬなら
せめて楽に死なせてほしい。
でもそんなことを
検索しても
思うような情報は出てこない。
そうしているうちに
徐々に冷静になってくる自分が
いました。
「死んだらどうなるんだろう?」
学校ではイジメがあったと
色んな調査が起きたりとか
親が悲しんだりとか
きっとそんなことが起こる。
自分が死んでからも
多くの人に迷惑をかける。
でも生きていても
色んな人に迷惑はかけるし
ペアには不快な思いをさせるし
生きていて毎日
苦痛に耐えないといけない。
生きていても
死んだとしても
どちらにせよ
周りに迷惑をかけるし
自分はツラい思いをする。
なんなんだこれ?
どっちを選んでもツラいって
どういうこと?
生きることも死ぬこともツラい。
どうしたらいいのか
もう分からなくなりました。
どんなにツラくても
どんなに死にたくなっても
それでも生きていかないと
いけないんだ。
親に学校にも
誰にも相談できない。
ただただ
毎日が苦しかった。
そんなぼくの
小さな心の支えになっているものが
当時ありました。
それが占いだったんですよね。
当時高校生でお金もなく
田舎ということもあって
占いを受けるところもない。
そんなぼくはネット上で見れる
無料の占いを見ていました。
毎日更新される
星座占い。
それを見て
「明日はいい日になるのかな」
と幸せになる未来を想像する。
でもなかなかいい日が
訪れることはありませんでした。
部活でも楽になることなく
ぼくは最後の試合で
今までで一番最悪な結果を残して
部活を引退することになります。
そのペアとは
卒業式まで一度も
話すことはありませんでした。
話さないというより
ぼくが怖くて話しかけられなかった
という感じでした。
あの時の自分は
どうしたら幸せになれたんだろうと
いまだにふと思い返すことがあります。
初めての恋愛
高校三年生の時
そんなぼくにも
初めての彼女ができました。
自己肯定感が低く
恋人ができたことがない
ぼくにとって
自分を必要としてくれる存在がいる
ということは
とても嬉しいことでした。
こんな自分でも
受け入れてくれる人がいるんだ
自分を大切にしてくれる
この人を大切にしたい
そう思える存在でした。
学校から一緒に帰ったり
LINEで話してみたり
ただそれだけで
幸せな気分でした。
自分にも幸せを
感じられる日々が
やっと来たんだ
と思っていましたが
それも長続きはせず…。
大学進学で、遠距離恋愛へ
ぼくは高校を卒業後
仙台の大学に
進学しました。
東北の中では
都会な方で
ぼくにとっては
とても新鮮な街でした。
高校から付き合っていた彼女とは
別々の大学になってしまい
遠距離恋愛に。
自分を必要としてくれる存在であり
ぼくにとって大切な存在だったので
その彼女とのために
当時はバイトを頑張って
お金を貯めて
月1で会いに行っていました。
その月1回のために
当時は勉強やバイトも
頑張れていました。
ですが遠距離恋愛とは
難しいもので
別れの日は
突然やってきました。
付き合って1年半が経ち
ぼくはいつものように
会いに行ったんですが
どうも相手の様子が
おかしい…。
一緒にいるのに
ずっと誰かとLINEしてる。
部屋に置いてあった
ぼくがあげたものも
全て無くなっている。
ふと視界に入ってしまった
彼女のスマホのロック画面に
映っていた見知らぬ男性。
怖くて聞けなかった。
そのことに触れることもできず
仙台に戻ってきてから
真実を告げられます。
「他にアプローチを
受けている人がいるから
もう別れてほしい」
目の前が真っ暗に
なりました。
浮気されていたんです。
聞くと2週間前に出会った
社会人の人だとか。
1年半付き合ってたとか
ぼくの気持ちとか
何も関係ない。
その子を満足させて
あげられなかった
自分が悪い。
幸せにできなかった
自分が悪い。
そこで初めて
ぼくは彼女にフラれる
という経験をしました。
一人の大切な人すら
幸せにすることができない。
ぼくの初めての彼女との恋愛は
ぼくが浮気されて
最後は捨てられてしまった。
自分が情けなくて
仕方なかった。
初めての経験で
ぼくは部屋で一人
泣くことしかできませんでした。
そのあと新しい出会いへ
失恋して時間が経ち
ぼくは大学2年生に
なりました。
ぼくは飲食店のバイトを
やっていたんですが
そこで運良く
新しい出会いを
迎えます。
バイト先に
同じ大学の新入生が
入ってきました。
ぼくはバイトの仕事内容を
教える役もやっていたので
バイトの新人とも
結構話すことが多かった。
帰り道が一緒で
その子と話すのが楽しくて
バイト終わりに
外で3時間とか
話していることもありました。
一緒に話しているだけで
楽しかった。
その子と一緒に
ご飯に行ったり
デートに行ったりして
ぼくから告白して
付き合えることになりました。
今まで自分から告白して
OKをもらえたことがなかったので
本当に嬉しかったです。
その彼女とは
色んなところに旅行に行ったり
半同棲生活をしたりして
充実した時間を過ごしていました。
こんな日々が
ずっと続くと思ってました。
大学生から新卒社会人へ
ぼくは彼女よりも1年早く
就職することになりました。
就職といってもその時は
占いができるわけでもなく
やりたいことがあるわけでも
ありませんでした。
惰性で就職活動をして
内定が決まった会社に
就職したんです。
そして就職を機に
福島県に配属になり
彼女と遠距離恋愛に
なってしまいました。
そして重なる
コロナという異常事態。
彼女と会うことすら
ままならない。
彼女は就職活動も終わり
時間ができたのに
自分は仕事で時間を作れない。
彼女を幸せにすると決めて
当時は告白して付き合ったのに
幸せの機会を作れない。
休みの希望を出して
彼女にも予定を空けてもらって
なんとか会う日を作っていました。
それでも会社というのは
容赦しません。
仕事をしている日に
上司から電話があって
「この日休み希望
出してると思うけど
会議入ったから
会社来てね。
休みはまた別の日に
入れてもらったらいいから」
と言われ
休みを変更することに。
「ごめん、
次の休みの日
仕事が入った」
申し訳ない気持ちで
彼女にそう伝えて
泣く泣く休み変更。
一番キツかったのが
クリスマスの日。
この日くらいは
休みを合わせて
一緒に過ごす時間を
作ろうと思いました。
直属の上司や先輩に
クリスマスに
連休を取ってもいいかを
ちゃんと確認して
別に構わない
ということを
言ってもらえたので
クリスマスに連休を取りました。
確認も取ったし
間違い無いと思って
彼女にも連絡。
その日を楽しみにして
仕事を頑張っていました。
クリスマス当日近くなって
さらに上の上司から
電話が来ました。
「クリスマスに休み入れてると
思うんだけどさ
その時期に休み入れると
売上作れないよ
もう学生じゃ無いんだから
そんなワガママ通用しないから
そこ出勤して」
どうして…?
なんで予定を先に入れてたのに
それに被せるように
次から次へと
予定が入ってくるの?
どうして約束したことを
守れなくなってしまうような
出来事が起きるの?
自分の人生ってなんなんだ?
どうしていつもいつも
何かに縛られて
生きているんだ。
度重なったものが爆発して
ぼくは車の中で
叫んでいました。
これじゃあ
いつまで経っても
自分も周りの人も
幸せにならない。
そう思って
ぼくは一度転職することを
決めました。
転職活動スタート
労働時間も長くて
自分の時間を作れないし
彼女とも距離が遠いし
この状況から抜け出したい。
そしてぼくは
仕事をしながら
水面下で転職先を
探し始めました。
入社1年目の新卒を
採用してくれる転職先は
なかなか無くて
探すだけでも苦労しました。
仕事帰りに面接をしたり
休みの日に書類を書いたり
休む暇もなく動いていました。
とにかくいち早く
この状況から
抜け出したかったんです。
転職活動を始めて
2ヶ月目が経つ頃には
本当に転職なんてできるのか
徐々に不安になってきました。
でもそこでなんとか三ヶ月が
過ぎようとした時に
やっと転職先が決まったんです。
たった三ヶ月だけど
本当に長かった。
終わらないようにまで
感じていました。
それでも会社を辞めて
人生を変えるきっかけを
作れたんです。
あとは上司に
伝えるだけ。
正直緊張しました。
退職を伝えるって
どんなもんだろう。
とても怖くて
心臓がバクバクと
激しく鼓動していたのを
今でも覚えています。
すぐに伝えないと
その分退職の日が
伸びてしまう。
その上司に
直接会えなかったので
電話で伝えることに。
震える手でケータイを握って
上司に電話で伝えました。
「あの、今、
転職活動をしていて。
転職先が決まったので
それを伝えたくて
電話しました」
喉を詰まらせそうに
なりながら
なんとか伝えました。
「は?」
上司からそう言われて
次の日直接話すことに。
「もう決意は
固まってるの?」
上司にそう言われ
そうですね
とだけ返答しました。
「なんで相談してくれなかったの?」
と最後に言われました。
なんで?
相談したところで
引き止めるだろうし
自分は今まで相談して
状況が好転してきたこと
なんてなかった。
でもこの上司からしたら
相談されなかったことが
ショックだったのかもしれない。
この上司にさえ
最後に不快感を
与えて終わったのかもな。
こうしてぼくは
新卒で入った会社を
1年で辞めることに
なりました。
転職でまた仙台へ
そこからぼくは
元々いた仙台に戻ります。
1年の間
全然時間の作れなかった
彼女の元に
また戻って来れたのが
嬉しかった。
これからは
もっと時間を
作ってあげられる。
ここからやっと
自分の望んでいた
人生が始まるんだ!
そう思っていました。
そう信じていました。
でもそうもいかなかった。
仙台に戻ってから
一緒にいても
ずっと退屈そうな彼女。
ご飯を一緒に食べても
一緒に出かけても
昔のような楽しそうな
感じはどこにもない。
そしてぼくは感じました。
「もうこの子を
幸せにしてあげられない」
この子を楽しませられるように
自分なりに色々と考えてみたり
実際にやってみたりしました。
でもそれが心に届かないなら
なんの意味もない。
自分と付き合ってる
この子が可哀想だな。
そう思ってもいました。
それでいて
自分から別れを告げる
勇気もない。
そんな中途半端な状態でした。
自分でもどうしたらいいのか
よくわからないまま
転職して仙台に戻って
2週間が経った頃
彼女から
連絡が来ました。
「別れたい」
もう終わりなんだな
そう感じて
彼女に会いに行って
別れることになりました。
付き合っていたのは
3年8ヶ月。
当たり前のように
結婚すると思ってました。
やっとできた
幸せにしたい人だったので
この先も幸せにすると
ずっと思っていました。
でもぼくはその思いを
貫くことができず
思い描いていた理想を
叶えることはできませんでした。
この人と結婚する
そのために仕事も転職も
ずっと頑張ってきたのに
それすら叶わなかった。
ぼくはどうしようもない
人間だなと思いました。
自分が関わった人を
幸せにすることが
できない。
自分にとって大切な人ほど
不幸にしている。
高校時代のテニスのペアも
自分じゃない別の誰かと
ペアを組んでいたら
もしかしたら
大会でももっと活躍して
充実した高校生活に
なっていたかもしれない。
初めて付き合った彼女も
自分じゃなかったら
浮気するような寂しさを
感じずに済んだかもしれない。
大学時代の半分以上
3年8ヶ月の間付き合った彼女も
どれだけ泣かせてきただろう。
その子も
自分じゃない別の人と
付き合ってたら
そのまま結婚までいって
もっと幸せな時間を
過ごせていたかもしれない。
会社の人にも
迷惑をかけた。
家族にも
ろくに親孝行が
できていない。
周りが幸せじゃないし
自分自身も幸せな人生からは
かけ離れている。
なんで関わった人を
みんな不幸にしてしまうんだ…
なんで誰も幸せにならない
生き方しかできないんだ?
自分はいったい
誰のために
何のために
生きているんだろう。
もう何もかもが
わからなくなりました。
付き合っていた人も
自分が働ける場所も
自分が目指していた理想も
自分にとって大切で
必要なものがすべて
失われたような気がしました。
何もない
真っ白な状態。
でもそんな中で
自分の中で唯一ひとつだけ
残った思いがありました。
「占いがしたい」
自分自身のことも
今まで大切にしたかった人も
誰のためにもなれなかった。
それでも自分が
できることがあるなら
自分の心の拠り所であり
自分に寄り添ってくれた
占いだったら
他の人の幸せの
きっかけくらいなら
作れるかもしれない。
何もかも無くなったけど
ツラい思いもたくさんしてきたけど
そんな自分だから
救える人が
いるんじゃないか?
占いでしか救えない
当時の自分のような人を
救えるかもしれない。
生きてきて
家にも学校にも職場にも
自分の居場所がなかった。
自分が居心地のいいと
思える場所がなかった。
もしかしたら
17歳の時に
自ら命を絶っていたかもしれない。
でもまだ生きている。
当時の自分と
同じ思いをしている人に
当時の自分が欲しかったと思える
そんな空間を提供できたら…
そんな落ち着ける
居心地のいい場所を
自分の好きなカフェを通じて
作ることができたら
そこが自分の居場所であり
当時の自分のような人が来れる
そんな場所にできるかもしれない。
もう他にやりたいことも
守りたいものも
何もかも無くなった。
だったら
自分が最後に残った
この占いカフェという夢を
叶えるために頑張ってみよう。
これが人生最後であり
最大の挑戦とも言えるくらい
やり切ってみよう
ぼくはそう思って
占いを仕事にするために
再スタートを切りました。
副業の占い本格スタート
すぐに占いを
仕事にするのは
流石に難しかったので
ぼくは新しい職場で
仕事をしながら
趣味だった占いを
副業にできるように
試行錯誤する日々でした。
SNSでいくら占いの発信をしても
いいねもフォロワーも増えず
全然反応もない。
無料の占いですら
全く依頼が来ない。
ココナラに出品しても
まぐれで売れることもない。
そういう状況に苦しみながら
占いをどうやって
仕事にできるのか
個人でも収入を得るためには
何を勉強したらいいのか。
占いができるのと
占いが仕事にできるのは
完全に別の話。
仕事をしながらだったので
かなり苦労しました。
SNSで発信したり
いろんな人を無料で
占ったりしていく中で
ぼくはやっと初めて
500円の占いを
お客さんに買ってもらうことに
成功しました。
タロットカードを7枚使う
ヘキサグラムスプレッドで
文面のやり取りで鑑定する
というもの。
ぼくはお金を払ってまで
自分の占いを受けたい
というお客さんがいる。
それ自体が
とても嬉しいことでした。
自分の経験や考えをもとに
お客さんの悩みを
なんとか解決できないか。
その人の理想に
どうにか近づけないか
を考えて占っていく。
そしてお客さんが
占う前よりも
明るくなって
「ありがとう」
と感謝の気持ちを
いただける。
周りの人の役に立てず
自分に自信がなく
劣等感を覚えていた
ぼくにとって
何にも変えられない
嬉しい瞬間でした。
そこからぼくは
占いがどういう流れで
売れるのかを
理解しました。
買ってくれる人が
増えたり
占いの価格を
上げたりして
最初は500円だった占いも
1000円2000円と
上がっていき
占いを買ってくれる人も
増えていきました。
すると半年一年と
経過する頃には
副業収入も5万10万と
徐々に増えていきました。
そして占いを
副業にし始めてから
1年半が経つ頃に
当時の会社員の収入を超える
副業収入を占いを通じて
作り出すことができたのです。
「これだったら
自分でも占いを
仕事にできる!」
そう自信を持つことが
できました。
この先も
絶対にうまくいく。
そんな確信を
持てたわけではないですが
ここで挑戦しなかったら
いつまでも踏み出しきれず
後悔すると思ったんです。
そしてぼくは2年間の
会社員生活に
終止符を打ちました。
フリーランスの占い師へ
占いで脱サラした瞬間は
とてつもない解放感で
今でもその瞬間の喜びを
鮮明に覚えています。
誰に何を言われるわけでもなく
すべて自分自身で決めていい。
自分の意思で
自分のやりたいことを
やればいい。
その自由さが
ぼくをワクワクさせました。
朝は好きな時間に起きて
みんなが会社に向かっている中
ぼくは一人
自分の好きなカフェに行く。
平日の朝
落ち着いたカフェで
モーニングを楽しみながら
占いのSNSを更新。
午後になったら
カフェで待ち合わせして
お客さんを占う。
「こういう形で占いする人も
いるんですね!」
お客さんに
カフェで占うことを
喜んでもらえると
ぼく自身も嬉しかったです。
脱サラしてから
関わる人も変わって
自分にとって
気の合う仲間が
増えたことも
嬉しかったです。
周りに占い自体が
受け入れてもらえなかった
自分自身の居場所もなかった
自分らしくいることもできなかった
でもそれが占いを仕事にすることで
全部好転していったのです。
占いカフェを作りたい
占いを仕事にする
という夢を叶えて
次の目標も
明確になってきました。
以前から思っていた
占いカフェを作りたい
というものです。
以前のぼくのような
周りに流されて
自分らしさを忘れて
何かに縛られて
生きることが苦しい人に。
ここに来たら
日常のツラさを
忘れることができる。
他人の色に染まらずに
自分の色を思い出すことができる。
その自分らしさを思い出して
一度真っ白な状態に
戻ることができる。
自分の色を思い出す
そのきっかけを
占いを通じて
作りたい。
そんな思いで
ぼくは将来
uranaicafe shiro
占いカフェしろ
を作っていきます。
これがぼくの
今の夢です。
このカフェが
当時のぼくのような
生きることが苦しい人が
少しでも救われる場所に
していきたいです。
最後に伝えたいこと
長くなりましたが
ぼくがどのような過去があって
これまで生きてきたのか。
ぼくの本音や過去を
さらけ出しながら
書いてきました。
似ている過去を持ち
今ツラい思いをしている方の
支えになれたら嬉しいです。
これから占いを
仕事にしたい
と思っている人も
中にはいると思います。
副業にしたい人も
本業にしたい人も
個人で占いをやって
自由に生きていきたい人も。
最後にぼくから伝えたいのは
ただひとつ。
「負けないでください」
自分の過去を
恨むこともある。
なんで苦しいのに
それでも生きていかないと
いけないのか
考えてしまうこともある。
理想があるのに
言い訳をしてしまったり
逃げてしまったりして
自分のことが
嫌いになることもある。
自分のやっていることが
空回りすることも
消えてしまいたくなることも
きっとあると思います。
それでも希望を捨てずに
生きてください。
どんな逆境にも
負けないでください。
人生がうまくいき出すタイミングは
人それぞれなんです。
幸せになる前に
負けてしまったら
諦めてしまったら
訪れるはずだった幸せすら
なくなってしまうのです。
ぼく自身も
負けそうで悔しい思いを
したことはたくさんあります。
2社目の会社を辞める時
占いを仕事にして生きていくことを
上司に伝えた時も
散々言われました。
「考えが甘すぎる」
「失敗する未来が見える」
応援してもらうのではなく
ただ否定されました。
当時の彼女に
占いを仕事にしてみたい
と話したら
「絶対に嫌だ」
とも言われました。
世間は自分の思いなんて
受け入れてくれませんでした。
でもぼくは思いました。
「世間がどうかじゃない
自分自身がどうしたいかだ」
これに尽きると。
周りに否定されて
自分の思いに蓋をして
本当にその人生で
後悔は無いか?
後悔しても
誰もその責任を
取ってはくれない。
周りの色に染まって
自分の色を忘れて
惰性で生きていくより
自分の本心で生きていく方が
人生最期の時
人生やり切った!
と胸を張って言える。
ぼくはそんな人生にしたい
と思いました。
アナタにも
そんな思いは
ありませんか?
これだけ長い文章を
最後まで読んでいる
アナタは
きっと諦めきれない
熱い思いを持っている
と思います。
その思いを形にする
きっかけが
必ずどこかにあります。
負けることなく
諦めることなく
一緒に頑張っていきましょう。
どんなに周りが
受け入れてくれなくても
占いを仕事にしたい
アナタの気持ちを
ぼくは受け止めます。
もし最後まで読んで
感想がある方がいたら
公式LINEの方に
直接送ってもらえたら
嬉しいです。
送られてきたものは
ぼくの方で
すべて読ませてもらいます。
それでは
次はアナタに
占いを仕事にする機会が
訪れますように。
アナタのこれからの行動と活躍を
応援しています。
しろ
小さい頃から引っ込み思案